ほげにっき

hogedigoの日記

運命論

僕は運命論者だ。
運命は全てプログラミングされている。
全ての結果は原因があって発生する。
蝶の羽ばたきが地球の裏側で竜巻を発生させる。


ただし、ヒトが全ての運命を予知することは不可能だ。
そういう意味で、僕は不可知論者でもある。


予知は不可能だが予測は可能だ。
予測の精度は、人それぞれの持っている判断材料(情報)の量と質による。
麻雀で親のリーチに一発でドラのイーピンを切った。他家からみたら無謀かもしれないけれど、実は手元にリャンピンが4枚あってカベになっているのだ、フフフ・・・という様なケースなど、各自が持っている情報によって予測の精度というのは異なってくる。Aにとっては偶然だったモノが、Bにとっては必然だったり。


麻雀の例などは一件不可抗力的に情報量の差が生じている様に見えるが、同じ情報でもそれが有効な情報か否かを判断するには経験や技術、センスが必要だ。カベという概念を知らなければイーピンが(比較的)安全だということに気づかないし、カベを知っていても注意して見ていなければ気づかないかもしれない。
全てを予知することが神の業だとすれば、情報収集や訓練によって予測精度を上げていくことは、神に近づこうとする行為なのだな・・・。

There is no royal road, but there is a road.

神になることは出来ない。しかし神に近づこうと足掻くことが重要なのだ。